静寂の仏教芸術──第13回百美巡礼





暖かな冬の陽射しのなか、12月20日、恒例の「百美巡礼」が開催されました。
今回は広島市郊外にある国宝不動院。年末にもかかわらず、多数の参加者にて、和気藹々の一日となりました。
住職夫人のご講話もじつに愉しいものでした。



今年も静かに暮れ往きます。
皆さん、よいお年を!
               (桑島記)


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《不動院》
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アストラム「不動院前」駅、降りてすぐ


14世紀の中頃、足利尊氏が諸国に建てた安国寺のひとつであるといわれる真言宗の寺院。境内には国宝の金堂をはじめ、庫裏、不動院楼門、国指定の重要文化財、銅製梵鐘、県指定重要文化財、木造仁王立像2体、本墨書不動院文書4巻などがある。原爆から免れた広島に残る最も古い建物としても有名。





由来・縁起
広島デルタの北端、旧街道沿いに建つ寺院。前身は足利氏が国ごとに設けた安芸国安国寺(臨済宗)と言われている。戦国時代、安芸国の守護であった武田氏が滅亡すると寺も衰退したが、代わって安芸国の領主となった毛利氏の使僧、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が住持を務め、寺を再興した。恵瓊の死後(1)、毛利輝元に代わって広島城主となった福島正則の命で真言宗に改める際に名称が安国寺から不動院に変わり、仏殿は金堂と改称された。

 金堂は国宝に指定されている。元々この建物はこの地にあったものではない。山口(2) において大内氏が建立したものを、天正年中(1573-92)に恵瓊が移築させたものである。

この仏殿は大内義隆が先代の義興のために創建した凌雲寺仏殿と推定される。鐘楼も他所より移建されたものであるらしい (日本建築学会「総覧 日本の建築 第8巻」新建築社(1998), p. 166)

この金堂は現存する中世禅宗様(唐様)の金堂としては日本最大であり、京都や鎌倉の寺院建築と肩を並べる良作だ。往時の山口の繁栄ぶりを伺い知ることができる遺構といえよう。これらは戦災を生き抜き、歴史を感じさせる建物が少ない広島では極めて貴重な存在となっているが、訪れる人は少ない。

[補注]
(1) 恵瓊は関ヶ原の戦いの後、首謀者として京都六条河原で処刑された。
(2) 戦国時代の山口は、海外貿易を独占した大内氏の本拠地として隆盛を極め、戦乱で荒廃した京都から多くの貴族が移住。また雪舟をはじめとする芸術家やフランシスコ・ザビエルら宣教師も長期滞在している。まさに京や堺をしのぐ都であった。その後大内氏は重臣陶晴賢(隆房)の謀反によって事実上滅亡、さらに陶晴賢は毛利元就に厳島合戦で討たれ、山口は幕末まで毛利氏(長州藩)の支配下に置かれる。
[参考文献・サイト]
1) 宮本和義+建築知識編集部(2002)「中国・四国を歩こう!建築グルメマップ2」 エクスナレッジ p. 10
2) 日本建築学会(1998)「総覧 日本の建築 第8巻」新建築社 p. 166
[見学ガイド]
アストラムライン「不動院前」駅から徒歩3分。見学自由。通常、金堂内部は見ることはできない。



注目文化財
金堂(国宝)……天井の墨書から天文9年(1540年)の建築と判明する。屋根は入母屋造、柿(こけら)葺き。2階建てのように見えるが、一重裳階(もこし)付きである。不動院は密教寺院であるが、金堂の建築様式は典型的な禅宗様(唐様)であり、内部を土間床とする点、豪壮な天井架構、扉、窓、柱の形状等に禅宗仏殿特有の形式が見られる。この堂は当初から不動院にあったものではなく、山口市にあった禅宗寺院・凌雲寺から天正年間(1573-1592年)、安国寺恵瓊により移築されたものである。原爆による大きな被害も受けず広島市内に現存する唯一の国宝である。
鐘楼(重要文化財)……永享5年(1433年)の建築。
楼門(重要文化財)……文禄3年(1594年)の建築。「楼門」と称するが、建築形式的には「楼門」でなく「二重門」(上層・下層境にも軒の張り出しをつくる)である。
木造薬師如来坐像(檜材寄木造、重要文化財)
梵鐘(重要文化財)